自分で治す

 専門学校に入学して最初はシリコンの練習台に鍼を打つ練習をし、次に自分の足三里に打ちましたが、入学した時には横一直線の同じレベルなのだからと思い、私は利き手でない左手でも鍼を打つ練習をしました。体もどちらかといえば柔らかい方だと思います。なので手の届く範囲で自分の体に鍼を打つ練習をしたものです。鼻の下の水溝穴などは打った瞬間涙が出るくらいの経験をしました。他人様には絶対できない場所も打ちました。隠部なんかは特にそうですよ。どんな感じか私は知っているつもりです。

 膝を痛めたときに自分の膝くらい治せなければ人の膝は治せないと思い、どうにか治療できました。もし自分の膝の治療が出来ないならこの仕事をするのを辞めようと思っていたほどです。

 さて、今回左足の甲が腫れて痛み歩くのもきつくなって来まして病院へ行きレントゲン写真を取り、採血をしましたが検査は特に問題なく、ドクターからは湿布とボルタレンの錠剤を処方されました。

 私は整形外科に勤務していたこともあり、現代医学を否定する気はありません。補完することでいいと思います。色々と治療に使うツボをこの数日間変えてみて結果が出るかどうか観察中です。

 以前にも書きましたが、鍼治療は「どんな症状でも全て1回で治療できる手段ではない」です。「鍼したけど治らない。」と言われるのが非常に腹立たしいのですが、今回、自分の足をどうにか治してみたいと思います。以前、足の痛みでいらした患者さんがあったのですが残念ながら1度では痛みを取ることができませんでした。何度か鍼を続けたら結果が出たのかもしれません。連休までもしくは連休明けには自分の足をどうにかしたい。これで結果が出たら私は多くの足の痛みに悩んでいる人たちの力になれると信じています。

子供の頃に見た光景が…

 お袋の実家の最寄駅が京成電鉄の千住大橋だったので、親父と上野動物園に行った帰りには今はなき「博物館動物園」駅から電車に乗ることがあった。国会議事堂のような石造りの建物を地下に降りていくなんとも言えない恐怖心を感じる駅だった。1997年に廃止されてしまったが、京成上野と日暮里の間にあって、京成上野から乗れば確実に座れるのにここからだと座れないことがあって親父には内心腹が立っていたことを覚えている。この駅はホームが短くて4両編成の普通列車しか停車できず、私が小学校の時にすでに6両編成の普通列車は通過していた。去年の秋に構内を期間限定で公開したそうだが、営業当時の様子を知っている人は、かなり少ないのではないだろうか?

 お袋と出かけた時には国鉄(現JR)の上野駅から地下通路を通り京成上野駅まで歩くことがしばしばあったのだが、目につくのはホームレスの男性たちが通路の中央にある柱と柱の間に横たわっている光景だった。バブルの頃にはほとんど見ることはなかったように思うのだが、今になってあちこちで見かけるようになった。世の中ではキャッシュレス決済だとかほとんどの手続きがインターネットを介して行われているのだが、明らかに時代に取り残された人たちが確実に増えている。

 今や接骨院はコンビニよりもその数が多いという。私とて同業なのでこの競争に敗れれば彼らと同じ状況にならない保証はない。10年経ったのちに、脇を好奇の目で通り過ぎていく子供たちを見送るようなことのない生き方をしたい。

医療ってなんでしたっけ?

 私は医療人だと思っています。具合の悪い患者さんを手助けするのが役目だと思っています。願わくば私の元へきてくれた方全員が回復してくれるのが理想ですが残念ながら相性というか、鍼治療が合う人とそうでない人がいるのが事実です。でも気持ちは全員をよくしようと思っているのです。

 父が現在入院していますが療養型の病院へ転院する話になりました。今回話を聞きに行った療養型の病院が姥捨山になっていることに驚きました。1ヶ月に30万円の経費がかかります。容体が急変しても高度な医療を加えることはない。自宅に戻ることは前提にしていないのでリハビリテーションを行わない。寝たきりにされ、ただ死を待つのみ。

 寝たきりになりたいわけではありません。昨年の12月初旬に誤嚥性肺炎を起こして入院しただけのはずだったのです。ほんの1週間で退院し自宅に戻る予定でした。ところが、入院して間も無く抗生剤の効かない肺炎を起こしました。嚥下障害があるということで経管栄養になりました。今年に入って容体が急変したと言われ病院へ駆けつけると心筋梗塞を起こして一度は心肺停止しました。蘇生させカテーテルで処置をしました。その後は自発呼吸が弱くなったため人工呼吸器をつけることになりました。嚥下障害は回復の見込みがないということで胃ろうを作りました。1週間で戻るどころか、すでに4ヶ月経ちました。

 現在の病院は急性期の救急病院であり、容体が安定したら転院しなければならない。しかも入院当初と違い人工呼吸器をつけているため、これが管理できる病院でなければならない。人工呼吸器をつけているため会話ができなくなりました。当の本人は頭がはっきりしているだけに辛いと思います。前述の通り受け入れ先は姥捨山しかないのです。なんのために蘇生させたのでしょう?

大型連休について

10日連続でお休みの方がどれだけおられるか存じませんが、4/15現在、28日に1件ご予約をいただいております。基本的には休みなく営業の予定ですが、家族サービスでどこか1日はお休みをいただくかもしれません。

故障発生

 今月に入ってから川沿いをランニング再開したのですが、40代も半ばを過ぎてくるとどうしても回復力が落ちてくるようで、左の膝に痛みが出てしまいました。基本に立ち返って膝を自分で鍼治療しています。

 以前スランプに陥った時に自分の膝を治療できなかったら他人様の治療はできないし、治らなかったらこの仕事を辞めようと思っていた時期があります。いい結果が出たので現在仕事を続けているわけですが、もう一度自分で自分の治療に取り組んでいます。

 素晴らしい宣伝をして集客しても、やはり結果が出なければ患者さんはついてきてくれるわけがありません。「トシだから」という言い訳はしたくないので運動は何かしら続けて体力と筋力は維持しておきたいと思っています。私の娘たちは小学生ですが中学生になっても負けない程度の身体能力を維持したい。(残念ながら逆立ち歩きとか後方宙返りとかは出来ませんけども)

 イチローは現役を引退しましたがそれでも毎日トレーニングをしています。同世代のヒーローと全く同じことができるわけではありませんが、私なりのペースで同じように続けたいと思っています。

おかげさまで

 おかげさまで開業して1年が経ちました。まだまだ安定した経営とはいきませんが、少しずつ患者さんが増えてまいりました。業界に入って10年以上積み重ねてきたことは決して間違っていないと思います。間違っているとしたら私が勤務してきたクリニック、院長と院長がアドバイスを受けている大学病院のドクターを否定することになりますから。

 鍼灸の世界にあって私は病院での勤務を経験してきました。整骨院や鍼灸院では行うことのない診療補助は今になって思い返せばいい経験でした。医師でないから投薬することはありませんが、職場で製薬会社が時々新薬の説明会をしてくれ、学校では学ぶことのない薬剤の話も貴重なものでした。これからも今までの経験と独立してから得た経験とを組み合わせて鍼灸師の仕事に取り組んでいきたいと思います。