たい焼き

 鯛八というお店が八王子にあって、その女主人の対応が厳しくて結構凹んでしまう人がいると聞いたので、どんなものかと思い早速八王子へ遠征。

 50代くらいの女性の先客がいてちょうど入れ替わりになったところだった。鉄板の上にはほぼ焼き上がりのものが6個、焼き始めたものが10個あった。いらっしゃいの声もなく、「10個ください。」と注文したところ「15分」との返事。私は「わかりました。じゃ、先にお代を。」と言いながら1000円札を2枚トレイに載せた。普通は後払いなのでしょう、マスクで顔全体はうかがい知れないものの、目はちょっと動揺している風だった。トレイから1000円札2枚をとり、100円玉2枚が代わりにトレイの上に置かれた。私はお釣銭の200円を財布にしまうと店内にある2つの丸椅子のうち奥側に座ってアクリル板越しに鉄板を眺めていた。

店の外に黒い車が止まり、初老の男性が入ってきた。「2個ちょうだい。」「15分。」またもやそっけない返事。「え!15分もかかんの!」「今から焼き始めるんだからそれくらいかかるんだよ。30個焼くのに1時間かかるんだよ。」男性は小銭を右手の中でジャラジャラしながら考えていたようだが「じゃ、また今度きます。」と言い残し去っていった。

「そんなにすぐ欲しいなら前もって電話してくれよ。」主人はボソッと言いながら余熱が済んだ真ん中の列に生地を流し込み、外側の半分火の通った生地の上にはアンコをどかっと載せていく。

私が先に代金を支払ったから、待ちくたびれてやっぱり帰ります。とはならないと思ったのか、店主はスマホでニュースを眺めていた私に話しかけてきた。焼き上がって間もない品物でも「作り置きを売りやがって!」って難癖つける客がいるので、作り置きはしないとのこと。「食べてみてアンコの状態がどうか食べて見りゃわかるだろっていうんだよ。外側が多少温かい状態でもアンコが熱かったら作ったばかりだってわかるじゃないか。」なるほど、お世辞にも愛想がない理由はこれなんだなと。

 「これだけ生地が厚かったら火が通るのに時間かかりますよね?」「一番いい状態で食べて欲しいからね。もし冷めてしまったらトースターで温めなおしてもらえればいいんだ。翌日だって同じように食べられる。」「え?今日中に食べないとダメかと思いましたけど?」「いや、冷凍してしまえばしばらく大丈夫だよ。実はさ、2日前にうちの身内がさ、50個送ってくれっていうからさクール宅急便で送ったんだよ。」

 焼き上がるまでの15分、店主は色々と話してくれた。以前は裏通りの違う場所でお店をしていたこと。根も葉も無い噂話でなぜか死んでたことになってたこと、娘さんしかいないのに息子が大変なことになったと特殊詐欺の電話があったこと…などなど。

焼きあがったばかりのたい焼きを箱に詰め、包装紙でくるんで私に手渡した。私は受け取って立ち上る香りを嗅いでニンマリし「ありがとうございます。」と言い店を出た。

 本来ならお店の人間が言う「ありがとう」を私がいったので主人はとっさに何も出てこなかったのかまだ話し足りないことがあるのか微妙な表情をした。

私のありがとうは、初見のお客なのに笑いながら色々話をしてくれて私の心が楽しくなったのでそのお礼に言ったのです。家に戻って(電車で片道1時間)食べたたい焼きはまだ温かく大きく、自然に笑顔が出る優しい味でした。

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